きっかけ

誰しも「自分はこれで飯を食って行くぞ!」とか「こんな職業に就きたい!」と決意したきっかけというのを持っていると思います。自分の場合は、1994年に日吉の計算センターの地下で、gozillaとかgamellaといったマシン名がついていたSunのWorkstationでX Window上のMosaicブラウザでインターネットに繋がっているのを実感した瞬間でしょうか。*1当時経済学部の学生だったのですが、インターネットで世界と繋がっている感覚にぞくっと来て、唐突にITで食っていくんだ!と強く決意をした覚えがあります。そこからは、UNIX Magazineとかプログラミングの本を読み漁り、C言語で経済現象をモンテカルロ・シミュレーションさせるコード書いたり、perlcgiのプログラム書いて遊んだり、経済学部の学生らしからぬ学生生活をしていました。Linuxのdistributionもまだそんんなに種類がなくて、Slackwareをひいひい言いながら自作のPCにインストールしてました。また、1995年には村井純氏の「インターネット」という本に感化され、これからはやっぱりITだと!ますます鼻息が荒くなっていったのを覚えてます。

ちょうどそのころでしょうか、「シリコンバレー日記」というWeb Siteを発見して、シリコンバレーで活躍している日本人エンジニアの方がいることを知りました。

http://web.archive.org/web/19990422200858/www.best.com/~yoshioka/d/95/10/diary.html

今でいうBlogサイト(当時はBlogがなくてWeb日記)で、毎回エントリの最後に「はげましのお便りは<メールアドレス>までどーぞ」とあったので、ファンレターのつもりでメールを出したことがありました。メールの内容は「日本人のエンジニアがシリコンバレーで活躍されているの知って感動しました、頑張ってください。」「自分もITにすごい興味があって将来ITの世界で食っていきたいと思う。」といったようなものでしたが、そんな他愛もないメールに親切に返事を下さって、とてもうれしかったのを覚えています。

そして、そのシリコンバレーの日本人エンジニアの方というのが、現在Miracle Linux でCTOとしてご活躍の吉岡さんだったのです。

ちなみに、

http://blog.miraclelinux.com/yume/2006/09/post_4503.html

で取り上げていただいた、

失礼ながらhidekojiさんのメールは全く記憶にはなかったのだが若い人が新しい事にチャレンジする時、わたしの基本的なスタンスとしては「がんがんやっちゃえ〜」という根拠のない(?)励ましみたいなエールをおくったりするのだが、そのような趣旨のメールを返信したらしく若干気恥ずかしくもあり不思議な感じがした。

の部分がこのファンレター・メールのお話なのです。。

あれから10年間経ちますが、未だにITで飯を食っているのであの当時の自分の決意は間違ってなかったのかなと思う今日この頃です。

*1:その当時はまだWindows 95も出る前で、インターネットに接続してネットサーフィンできる環境はとても限られていた。